こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

時代を超える表現

 このあいだ、村上春樹が、なにかしらインタビューで、SNSは文章があまり上等じゃないからいっさい見ないと応えたそうで、えらく反応されていた。

 なんで70歳のお爺さんが言ってることに、そういちいち反応するんだろうなあと思うが。ちょっとなんか言ったらすぐ反応されるんだな。

 村上春樹は70年代末に登場した。70年代においては、60年代ころの音楽が「古い」「遅れてる」と感じられていた。わかってもわからなくてもマイルスデイビスを聴くことになっていたりしたが、そんな中、村上春樹の好みのジャズというのが、これが60年代臭たっぷりで、当時は「なんじゃこれ?」と思った。しかし、今となってみると、ああいった音楽こそが時代を超えた結果がわかる。

 同じような例で、荒井由実(当時)という人の曲で初めて耳にしたのは「ルージュの伝言」で、まさしく60年代臭だった。もうそれ終わったやんか、と70年代真ん中では感じた。ユーミン本人の姿をまだ見たことがなかったので、てっきり、60年代ポップアイドルみたいな人かと思っていた。もちろん「ふる、、」と思った。が、そういいながら、なぜか気が付くとギターコードブックかなんか買ってしまっていた。

 ところが、その表紙の写真の彼女のスタイルが、あくまで当時の若者ファッション感覚からいうとだが「そこそこ金あるおばちゃん」という感じで唖然とした。50年代の映画に出てくる年増っぽい感じだ。当時はみんなジーンズにTシャツなので、それはかなり変だった。しかし、そういった感覚は70年代当時特有だったのだ今思えば。

 60年代的で古いのではと思ったユーミンの曲は時代を超えたスタンダードになったし、あの、おばちゃんかいなと思ったファッションは今見ると時代というものを感じさせないものだった。

 で、村上やユーミンのような人は時代に振り回されていないんだなあ、と思う。時代に振り回されず自分に必要なものだけチョイスしていく。だから結局時代を超えていく。普遍を語れる。

ちょっと言い過ぎ?

 でもまあそんなわけで、ああそうか、SNSって時代を超えないのかもなあ、と、実は村上主義者である私は思ったりする。