こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

日月山水図屏風を京都で

もう一か月前になるが、京都国立博物館「特別展 河内長野の霊地 観心寺と金剛寺」の初日に行ってきた。目的は「日月山水図屏風」かつて白洲正子のエッセイによって世に広く知られた屏風だが、河内長野という大阪でも南部山奥の寺にあり公開されるのは年に二回の限られた期間という状況なので、なかなか気軽には目にできない。

 

今回、京都七条に行けば観られる機会だったので、心待ちにして、やっとの初日に出かけてきたのだが、ちょっとじぶんでもおかしなことがある。

 この作品を図版でばかリ見て憧れていて、今回初めて目にすることができたのだ、と、観に行く前も観てきたあともずっと思い込んでいた。

 ところが数日後、ふと思いなおすと、そのずっと見ていた図版の載った「白洲正子の世界」という平凡社のムックは、2000年「MIHO MUSEUM」での展覧会図録だったのであって、その展覧会に行ったのだということは、その際にこの屏風も観ているのだ。

 そうだそうだ、そういえば、ゆったりした空間に展示された、このなんだか独特の山月世界に長いこと魅了されていた時間があったのだった。思いだした。いったいなんで、実物をみていないと、20数年のあいだにいつのまにか自分で思い込んでしまったのだろうか。図版はさんざん見ているので、図版では物足りなかった気持ちからだろうか。変だ。

 

さて屏風のはなし

 

まるく天にのびる山たちがあり、その下は海の波のようで、少しな不思議な風景だ。山々の向こうも手前も海なのだ。どこだこれは?幻想世界か?とまず思う。

 

白洲正子は、屏風の所在する金剛寺近辺の山だろうと書いている。でもそうすると海はどうなるのか?近辺というのは大阪河内の山奥だ。仮に遠くの海波を想うとしても、山の手前にも海というのが、どうも納得できない。

 

橋本治はどこの山とは探っていないが、山が動き、海に流れ出していると書いている。確かにそんな動きを感じる、なにかしら揺らめくような山々の絵だ。山の向こうも手前も海であることを橋本はそうとらえているのだが、現実的に考えるならば半島だろうとも書いている。半島?

 

私にわかりよい本はほかにもう思いつかなかったので、ここでネット検索に移ってみたところ、画家 白井忠俊さんによるnoteでの考察を発見した。

 

これはすごい!

 

白井さんはこの絵の風景は四国だという。

空海の生まれ里である四国であり、不思議な丸い山たちは金毘羅宮から見える讃岐富士を中心にした風景なのだと。

そこで提示された写真をみると「うわあほんとだ」となった。

そして、山の手前に見える海は瀬戸内海。そうか、四国だから海の中か、と納得。

 

白井さんの考察は更に山と海についてだけではなく、絵の他の部分もみな空海の修行にちなんだ風景であるということを解き明かしていく。私はあまり四国の景色を知らないので、ちょっとそこらはわからないなというところはあるが、空海ゆかりの世界だという説には、まったく同意。そうだったのかそりゃそうだ。この屏風のある金剛寺高野山への道にある真言密教の大寺院で、この屏風はその寺の儀式に使われたというのだから。

とても面白い考察なので「日月山水屏風」に関心のある人もあまりなかった人も是非ともご覧になることお勧めだ。

 

なお、2000年に白洲正子展のあった「MIHO MUSEUM」は、かつてカルトと問題になったこともある宗教団体「神慈秀明会」の運営する、コレクションも設営も驚きの圧倒させられ美術館だが、宗教団体のお金って恐ろしいすごさだなという思いが先に立ち、あまり「素晴らしい」という気持ちにはなれないところだった。昨今の統一教会問題を思うと、あのものすごい美術取集品も信者のお金で集めたのかもという思いが強く迫る。美術品って、いったいなんだろうか。というような思いにまでなってしまう。見たい展覧があったため、その後も二回行ったけれど、とても行きにくい場所にあるということもあり、できればもう行きたくない美術館のひとつ。