こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

認知障害気味高齢者との会話ヒント

 認知障害気味高齢者との会話では、弾丸堂々巡りで繰り返されるクソミソのような同じ話をかきわけて、突っ込んで、突っ込んで、心の奥底の新ネタを引っ張り出すべし。

 

 百歳近い老人をひとり暮らしで置いているが、車で40分なので週に2回は通っている。ひとり暮らしのままなのは、こちらの都合もあるが本人の意向もある。

 認知症とまではいかないが、さすがに認識障害はかなりで、同じことを鬼のように繰り返して喋るのには、ほとほと参る。「このあいだもそれ言ってたよ」とかいうことではなくて、今目の前で、同じことを5回も10回も堂々めぐりで弾丸のようにしゃべくり続けるのだ。しかも内容はくだらなくおぞましい親戚関連の大昔の愚痴等。

 そういうのを責めてはいけないという専門的なご意見もあるが現実そうはいかない。こちらもしんどすぎるので。で、指摘すれば少しは効果はある。その時点ではいちおう収まったりはする。

 

 そんな感じのプレ百歳との会話だが、それでも、こちらが余裕のある時は、違う話をさせて頭を活性化させようと思い、あれこれ突っ込んでみたりもするのだ。すると、なんと、これが、まったく聞いたこのなかった新ネタがぼろぼろの開幕。弾丸堂々めぐり話でひるんでいてはいけないのだ。要は突っ込みだ。

 

 この間は、彼女の夫だった私の父親が、航空母艦「瑞鶴」に乗っていたということを生まれて初めて聞き、本当に驚いた。え?「瑞鶴」だって。

 「瑞鶴」は真珠湾にも参加し、その後も多くの海戦に参加してマリアナ海戦まで一発も被弾しなかったという幸運艦だが、レイテ海戦でついに沈没。父が乗っていたのはその時で、大海に放り出されて助かるという九死に一生のことだったようだ。

 が、詳しい話は不明。プレ百歳のできる話は「上に上がれと言われたけどうまく隠れていたらしいよ」というくらいのこと。父が詳しくは話さなかったのか、話したけれど覚えていないのか。

 まあそれはしゃーないかということで、また別方向から突っ込みを入れる。すると、父は瑞鶴沈没後にもまだあちらこちらに移らされており、何度も遠路面会にもいったのだという。切符をとるのも大変だったという話。面会に行った先はあやふやな単語から推測して調べると現代の「百里飛行場」(茨城)などだったことも判明。戦時に大阪から茨城に行ったのか女ひとり。そんな大変なことしていたとは知らなかったよ。はたまた「瑞鶴」に一緒に乗っていた戦友もいて、ある時期まで交流もあったのだという。どんな話をしたのだろうか。

 ほんとに、くだらない愚痴の繰り返しではなく、こういう話をもう少しはやくに聞きたかった。それに本人も不毛な古い愚痴を死ぬほど繰り返しているよりも、ずっといいだろう、こんなこと思い出せるほうが。

  もう少し早い目に開眼していたらよかったこの弾丸堂々めぐりかき分けかき分け突っ込み技法、これからのプレ百歳随伴者の方々に強力におすすめしたい。

  

空母瑞鶴―日米機動部隊最後の戦い (光人社NF文庫)