こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

 NHKドラマ「太陽の子」

 軍の命令で原爆開発研究をしていた若者をメインにその周囲を描いたドラマ「太陽の子」は、役者たちの演技がすごいすごいと評判で、それはそのとおりだと思った。柳楽優弥有村架純も、さすがだし、柳楽がやや濃いめな演技なのに対してさらりとした印象の三浦春馬の演技がよいコントラストだった。彼はそのあたりもよく掴んで存在できるいい俳優さんだったのに、いなくなってしまうなんて本当につらい。

 それから田中裕子をはじめとする年輩俳優陣も素晴らしい演技なのだと思う。

 

 それはそうなのだけれど、このドラマが伝えようとしている何かが、正直、私には響かなかった。何かが、何かがあるはずだけれども、どれ? それはどれ? 観終わった今、そんな気分だ。あんな素晴らしい俳優陣と超絶時代考証なのに。なにかこう、手の中が埋まってこない感じだ。人の気持ちやその繋がりやを納得のいく台詞で深く演じられているのに、それなのに、なぜかしらもどかしい。

 

 どういうわけなのか、観てわりとすぐの今なので、急にはわからないけれども、ひとつ思い付きで想像するのは、時代の気持ちのことかなあ、ということ。あの時代の空気や人の気持ちが、どうなんだろうなあ、という点。

 

 私も1950年代生まれなので戦争は知らないが、親の話とか子供時代にはまだ少しは残存していた時代の空気とか、そもそも自分が生まれてくる状況が戦争との関係なしに考えられないかもしれないこととか、そういったことをバックに、たくさん放送されるようになった戦争ドキュメンタリーや生き残った人の体験談やに接するようになっている今、そして自分自身けっこう年取ってしまった今、どうも戦争を知らないくせにほんの少しは知っているかのような気になっているようなのだ。「物語」ではない「現実の戦争」をということだが。

 

 しかし、戦争はもう、歴史上の「物語」なんだな。そして、それは言うまでもなくあたりまえで仕方のないことだが、ほんの少しその端っこだけれども「物語」ではなく現実として知っていると思っている自分には、すんなりと「物語」になって差し出されたドラマが、なんだかピンとこないんだろうな。

 

 いまのところそう思う。

 

 ところで、かつて「太陽を盗んだ男」という、主人公が原爆を盗む?!映画もあったのだし、このドラマタイトルの太陽も原子爆弾をたとえているのかなと、どうしても思うしかないのだけれど(水爆をおもいついたヒントが太陽だったそうだし)、いったいなんで、太陽の子なんだろうか? 太陽に別の意味も持たせたいからか? ちょっとタイトルの意図がわからない。