こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

別姓制度成立せよいい加減

 行かなかった同窓会当日の写真が送られてきた。冗談抜きで誰が誰だか、わからない。それはともかく、名簿の「物故者」の中に、いち時期親しかった人の名があって、これはショックだった。20年ほど前の同窓会では再会した。そのとき彼女は新しい姓になっていたけれども、今回、物故者名簿にある姓は、それとはまた違う新姓だった。それからまた彼女は飲食店をやっていて、そこでは源氏名を使っていた。たくさん名前のある人生だったのだなと思う。

 

 私のばあいは、同窓会名簿の氏名が一度も変わっていない。そのために独身のままだと思われることがよくあったが、20代前半からすでに独り身ではなかった。しかし苗字が変わることがいやで、いわゆる事実婚の状態を続けていた。

 実は数年前に、とうとう致し方なく婚姻届けを出し、今は戸籍上の姓が変わってしまったのだが、そのことをとくに必要以上に世間にお知らせしてはおらず、たいていの場面ではそのままにしている。

 

 昨今になってようやく、別姓で生きたい人間がいるということが少しは世間に認知されてきたが、かつてはそうではなく、「事情がおありなのねえ~」的な受け止めをされる方もおられたりで面倒でたまらなかった。そのことと、もうひとつは相続の問題。事実婚で実質的に困るのは、この二点だけだ。病院で家族扱いされないことがあるというようなことがよく事実婚状況説明で述べられているが、体験の限りではそんな病院は無かったし、もしもあったら、すぐ病院を変わったほうがよいだろう。そのような病院は信頼して病身を任せられる所ではないから。

 

 別姓に、なんとなくではなく、本気で反対している人たちが「ある種の人たち」であることは今日はっきりしている。「選択性であって、あなたに別姓にしろとは言っていないのになぜ反対なのか」という問いに彼らは答えない。それは彼らの反対の理由が、実は戸籍制度保持というところにあるためだ。別姓の家族などというものがこの日本に存在しては、彼らの大切な戸籍制度が破壊されてしまう恐れがある、と彼らは考えている。

 

 このことは、70年代の頃に別姓を求めはじめた運動家たちというのが、戸籍制度反対論者たちだったということに起因している。おそらく彼らの主な目的は別姓実現ではなく戸籍制度破壊だった。そのため、別姓運動=戸籍制度廃止運動 と、別姓反対のある種の人たちは認識し続けることになったのだ。

 

 私は、戸籍制度がどれほどのどういう問題なのか、それに関した書籍を読んでもあまり納得できないし、興味もなく、無知なくせにいい加減なことを言ってはなんではあるが、どうだっていいのではないかと思っている。私はただ、名前の一部を変えたくないだけなのだ。

 

こういう私からすると、あの運動家たちの思想のおかげで別姓実現はここまでこじれたのだ!ということにもなってしまう。彼らのおかげで、実は根拠もなく、別姓➡戸籍制度こわれる と思い込んでしまった「ある種の人たち」が出現した。

 

だいたい選択制で別姓を認めたからといって、なんで戸籍制度が壊れるのだろう? 実質的にどうなのか「ある種の人たち」には、少しだけ考えてみてもらいたいのだが、ちょっと難しそうだ。だから、こういう分析ができる知識のある人にここのところを考えて、別姓を認めたからといってべつに戸籍制度は壊れないということを「ある種の人たち」に納得させてあげてもらえないものだろうか?それをやらないと、おそらく別姓制度は実現しない。

 

 で、戸籍制度をなくさなければならないと考えておられるこれはこれでまたべつの「ある種の人たち」は、別姓問題とは別個にその運動はやってもらえないものだろうか?

 彼らにとっては、戸籍制度が揺るがないのならば別姓制度なんかどっちでもよいのだろうと思われる。ン十年前から少しずつ別姓問題というものが世間に浸透してきたのは彼らのおかげではあるのだが、実際には実現に向かわないのもまた彼らのおかげなのだ。

 

別姓反対理由として、よくあげられるのが「伝統をこわす」だが、日本人がみな姓をもつようになったのが明治になってからだという歴史知識をお持ちでないようだ。