こぐらす日記

ここは思いついたことをただ呟くところで話バラバラ気分次第

ブログ放置脱出でツイッター離れ準備か

またブログ放置になってしまっていたが、すべてはツイッターに、なんか思いついたら投げつけてしまえば、それで気が済んでいたせいだ。しかし、ツイッターがあのような、名前までまで代わり、あまり感じのよくないものに変化していくので、ちょっと考え直そうということで、さすがにブログ世界にもどろうと思い立つここ数日だ。

 

それにしても 異常に暑い夏は まだ終わらず 体力的にあまりなんにもできない。

毎日介護

 先に書いた通い介護が毎日になってしまい、おかげで、あまりパソコンにむかっていられなくなった。パソコンでしかほぼブログをみていなかったので、タブレットスマホではしんどい。そういうわけで、やっと再開しようとしながらも数ヶ月の放置となってしまった。

 でも今日はなんとかipadでやっている。できんことはない。まあ、(ムリ〜)なときはパソコンに戻ったりしながら、ぼちぼち再開しよう。

 と、思う如月の末日。

 

いまどきは介護施設がデフォルト?

 いちおう母にあたる者が百歳を過ぎていて、実家にひとり住まわせ、二日に一度通うという生活をしている。本人はまだ歩けると強気だが、実はほとんど歩けていない。しかし、近辺にドラッグがあるので、私がいない日にひとりでちょっと、押し車に頼って何かしら買いに行く。

 そんなある日、彼女はそのドラッグストアで、知らない女性に「どうしてそんな状態で家にいるのか?そんな人はみんな施設に入っている。あんたもそうすればいい」と言われたそうだ。彼女が施設に入らずに自宅にいるのはもちろん彼女の選択だ。誰だってできる限り長年暮らしたところにいたいのは当たり前だろう。

 また、彼女には彼女より数歳だけ若い妹がいて、ずっと長い年月、隣り合って暮らしてきたのだが、コロナが始まった頃に倒れ、その時の病気はなんとか持ちこたえたものの、そのまま介護施設で暮らすことになった。そこはとても対応の良い施設だということで、これなら、家で不自由にひとりいるより入居したほうがいいよ、と、あちらの家族が、うちのほうにもお勧めになってきた。コロナのため、入居していると、あまり誰も会えないようなことなのだが、それでもそれはいい状態なのだそうだ。

 

 そういえば、いつからか、歩行器を押してたどたどしく買い物する年寄りの姿がとても少なくなった。そうか、みんな介護施設なのか。気がついたらいつのまにか、介護施設で過ごすのが普通一般になっていたのか。たくさんできてるからそりゃ使わないとな。

 

 人それぞれ、いろんな条件状況のなかでのことなので、こちらはそれが悪いとか言う気はないのだ。ただ、むしろ世の中、逆転していて、不自由ながらもなんとか自宅で暮らすことを選んでいる者を否定するようになっていることに驚いている。私はそれを介護している人間で、もちろん自分の生活パターンは崩れているし、体力的にもしんどいけれど、別に人さまにこれをああしんどい介護は大変だ!と訴えないとならないようなことではない。私の場合は。それで、今の世間のこの動きに違和感を覚えている。

 

 このことを考えていたら、ちょっと、あのやまゆり園犯人のアタマの中を思い浮かべてしまうのは極端な感想だろうけれど、どうしても無関係ではない。

 

コロナ下、髪が伸びた。

 髪を切りに行っていない。コロナ下になってから、ずっと伸ばしっぱなしだ。もともと、美容院が好きではないところに、感染しそう?という淡い思いが重なり、そうして、髪が伸びたからって実質どうってことはないので、気が付いたら腰くらいの長さになっている。これはすごい。

 髪が伸びまくってしまうことはこれまでにも何度もあるのだが、2年半?切らないのははじめてだと思う。伸びまくると必ず、伸びたね、伸びたね、と言われるのが、いつでもちょっと煩わしいのだが、今回は、あまり人に会うこともない状況なので、まあまあなんとか平穏だ。

 昔はとても髪が多かったので、伸びると洗髪も大変だったが、今はそうでもないくらいに髪が減った。最初、減ってるなあと思った頃は、「女でもサイアクハげるかも」と焦り、マッサージ等の対策をとったものだが、ぼちぼちと、まあ急速にはハげないだろうとわかってきたので、もうあまり気にしていない。

 

 美容院がきらいなのは、美容師が話しかけるのがいやだから?と最近の世間の話題では予測されそうで、それも大いにあるが、しかしそれよりも、髪をどうこうするのにじっと長時間座っているのが苦痛というのが大きい。たとえば歯医者とかならいやでも行って座っておらざるを得ない状況なわけだが、髪をどうこうというのは、自分としてはどうでもいいことなので、それで苦痛なのだと思う。

 それでも、全然行かないわけではなく、行って切ることはあるのは何故かというと、世間でそういうことになっているからだろうなと思う。髪を適度な長さや形に整えるのが真っ当な人間であるということに、なっているのだ、世間では。

 伸びましたねえ、と言ってくる人の顔にはたいてい「いいかげん切りに行けよ」と書いてある。それでどうもその世間に合わせてしまうわけなのだ、私ていどの人間は。

 このあいだツイッターで、オードリータンなど天才には髪を伸ばしまくってしまっている人が多いという話題があった。その理由について、いろいろなコメントが上がっていたが、おそらく、天才には世間に合わせるという発想がまるでないからではないだろうか。

 このたびは、たまたまコロナのせいで、私のような者でも髪を伸ばしまくってしまっている状況を迎えている。

 

日月山水図屏風を京都で

もう一か月前になるが、京都国立博物館「特別展 河内長野の霊地 観心寺と金剛寺」の初日に行ってきた。目的は「日月山水図屏風」かつて白洲正子のエッセイによって世に広く知られた屏風だが、河内長野という大阪でも南部山奥の寺にあり公開されるのは年に二回の限られた期間という状況なので、なかなか気軽には目にできない。

 

今回、京都七条に行けば観られる機会だったので、心待ちにして、やっとの初日に出かけてきたのだが、ちょっとじぶんでもおかしなことがある。

 この作品を図版でばかリ見て憧れていて、今回初めて目にすることができたのだ、と、観に行く前も観てきたあともずっと思い込んでいた。

 ところが数日後、ふと思いなおすと、そのずっと見ていた図版の載った「白洲正子の世界」という平凡社のムックは、2000年「MIHO MUSEUM」での展覧会図録だったのであって、その展覧会に行ったのだということは、その際にこの屏風も観ているのだ。

 そうだそうだ、そういえば、ゆったりした空間に展示された、このなんだか独特の山月世界に長いこと魅了されていた時間があったのだった。思いだした。いったいなんで、実物をみていないと、20数年のあいだにいつのまにか自分で思い込んでしまったのだろうか。図版はさんざん見ているので、図版では物足りなかった気持ちからだろうか。変だ。

 

さて屏風のはなし

 

まるく天にのびる山たちがあり、その下は海の波のようで、少しな不思議な風景だ。山々の向こうも手前も海なのだ。どこだこれは?幻想世界か?とまず思う。

 

白洲正子は、屏風の所在する金剛寺近辺の山だろうと書いている。でもそうすると海はどうなるのか?近辺というのは大阪河内の山奥だ。仮に遠くの海波を想うとしても、山の手前にも海というのが、どうも納得できない。

 

橋本治はどこの山とは探っていないが、山が動き、海に流れ出していると書いている。確かにそんな動きを感じる、なにかしら揺らめくような山々の絵だ。山の向こうも手前も海であることを橋本はそうとらえているのだが、現実的に考えるならば半島だろうとも書いている。半島?

 

私にわかりよい本はほかにもう思いつかなかったので、ここでネット検索に移ってみたところ、画家 白井忠俊さんによるnoteでの考察を発見した。

 

これはすごい!

 

白井さんはこの絵の風景は四国だという。

空海の生まれ里である四国であり、不思議な丸い山たちは金毘羅宮から見える讃岐富士を中心にした風景なのだと。

そこで提示された写真をみると「うわあほんとだ」となった。

そして、山の手前に見える海は瀬戸内海。そうか、四国だから海の中か、と納得。

 

白井さんの考察は更に山と海についてだけではなく、絵の他の部分もみな空海の修行にちなんだ風景であるということを解き明かしていく。私はあまり四国の景色を知らないので、ちょっとそこらはわからないなというところはあるが、空海ゆかりの世界だという説には、まったく同意。そうだったのかそりゃそうだ。この屏風のある金剛寺高野山への道にある真言密教の大寺院で、この屏風はその寺の儀式に使われたというのだから。

とても面白い考察なので「日月山水屏風」に関心のある人もあまりなかった人も是非ともご覧になることお勧めだ。

 

なお、2000年に白洲正子展のあった「MIHO MUSEUM」は、かつてカルトと問題になったこともある宗教団体「神慈秀明会」の運営する、コレクションも設営も驚きの圧倒させられ美術館だが、宗教団体のお金って恐ろしいすごさだなという思いが先に立ち、あまり「素晴らしい」という気持ちにはなれないところだった。昨今の統一教会問題を思うと、あのものすごい美術取集品も信者のお金で集めたのかもという思いが強く迫る。美術品って、いったいなんだろうか。というような思いにまでなってしまう。見たい展覧があったため、その後も二回行ったけれど、とても行きにくい場所にあるということもあり、できればもう行きたくない美術館のひとつ。

 

 

 

 

 

 

「大阪」岸雅彦 柴崎友香 

 

 ぱらぱらあちこち、読んで、期限がきたので返却した借りだし本。とりあえず図書館で借りて、もっと読めそうだなという本だと買う。そういう購買パターンなんだけれど、これは購入しないかもしれない。面白いんだけれど。でも。自分とは別のところというか。

 

 大阪 と言われてしまったけれども、あまりにも実際には知らないタイプの大阪なので、やや茫然としてしまったのだ。登場する大正区も、大阪市内の南部分も、行くこと行ったことはあった。でも、知らない。ちょっと行ったことあるでは知ったことにはならないから。旅先のどこかとあまり変わらないわけだから。あるいは、柴崎さんの話題に出てくる、大丸百貨店への思いは、現在アメリカ村と呼ばれるところにあった南中学校出身で、御堂筋挟んで向かい側になる大丸の地下が中学帰りの寄り道処だった私の思いとは、ちょっと違う。改装されても元の風情が残されたことへの深い安堵感は同じなのだけれど。

 

 大阪と言っても、ひとひとりひとり、その人の大阪なんだということを思う本だった。これはなかなかこれまで無かったことだ。大阪に関して語った本にはいつもおおむね、単純にそうだそうだと共感できてしまっていた。大阪といってもいろんな場所があって、実際にはそのどこもかしこもを自分は知っているわけではないのだが、よく知らなくても大阪だからわかる気がするで、満足していたと思う。

 しかし、このおふたりの話には、そういう感じの共感はなかったのだった。岸さんと同じころにミナミで飲んでいた時代があっても、ミナミが違う。それは単純に行く場所が違うということではない。

 

 

「ドライブ・マイ・カー」やはり観てしまった

 原作と映画は別物ということは、わかっているつもりなので、あれちゃう、これちゃう、と、あまり言う気はないのだが、ひとつだけ我慢ならないのは、あの妻の不倫問題が、つまらない相手とのつまらない関係に描かれていたことだ。そしてそのつまらない彼女彼らはつまらない人ら、というステレオタイプ。これは、原作のもつ意味とあまりにも違う視点の浅さで驚いてしまった。こういうふうにしか世界を見ない人に村上はあまりにも無理だ。

 

 で、原作のことはそれでおいといてだが、ごく単純に、強い不快感をおぼえる作品だった。手話がでてきたり、障碍者が出てきたり、韓国の人というのが意味深にでてきたり、家族の虐待問題も出てきたり、現在社会の重たい問題あれもこれもと盛りだくさん。いっぺんにやりますのんそんなん?と、お口あんぐりになってしまった。人の苦しみでお遊び中という感じしかしない。舐めているのか?本当に心から不快だった。

 

 私は「寝ても、、」しか観ていなくて知らないが、きっと、この監督はこれ以前に、ずいぶんとよい映画を撮ってきたのだろう。それで、ここにきて、このあたりでショウ、ということででアカデミーなんでしょう。

 こぞって賞賛されながら、その後とくに長く忘れられずに語り続けられたりはしない映画というのがある。これはそういうものだと私は予言してしまうよ。たとえば、今回復活のジェーンカンピオンの「ピアノレッスン」がその類。

 

とはいえ、映像的には、どでかい風景パワーに観ている人らは惹かれるのだろうなとは思う。そこに嵌れば、突っ込む気は薄まるのかも。なんで突然二人で車で北海道行かないかんねーん、とか、些細なツッコミは、しなくなるのかも。映画って色々あっていいんで、それはそれでいいんでしょう。スクリーンで観ていないのでそのへんはわからないが、まあ、もう観ることはないだろう。